「YouTube」をやめてみた

■ 序章:YouTubeは“お菓子のような情報”だった

気づけば夜。
スマホの画面に映るのは、何気なく流れてきたYouTubeの動画。

最初は2分のショート。
次はおすすめに出てきた「〇〇してみた」系の10分動画。
そして、深掘り解説系の30分動画……。

「あれ、もう23時?」

僕は気づいた。YouTubeは、まるで“甘いお菓子”だ。
食べても食べてもお腹は満たされず、時間だけが奪われていく。

このままじゃマズい。
そう思った僕は、意を決して「YouTube断ち」を始めてみた。


■ 第1章:アプリを消す。それだけで“別世界”が見えた

まずやったのは、アプリを削除すること。
意外にも、心のどこかで「惜しいな…」という感情が出てきた。
どれだけYouTubeに依存していたか、体が勝手に教えてくる。

でも不思議なことに、スマホのホーム画面からYouTubeの赤いアイコンが消えると、心が軽くなった。
まるで部屋のゴミを全部捨てた時のようなスッキリ感。
この感覚だけで、すでに“やめてよかった”と思った。


■ 第2章:浮いた時間は「読書」と「思考」に変わった

YouTubeをやめて最初に感じたのは、「時間が余る」ということだった。
これまで見ていた1日平均2時間半の動画時間が、まるまる空白になる。

そこで、僕は本を読んだ。
それも、小説じゃなくて哲学書やビジネス書。

最初は活字に疲れたけれど、3日目くらいで頭が“読書のリズム”に馴染んできた。
気づけば、YouTubeを観ていたときの“目のチカチカ感”も消えていた。

さらに、ぼーっとする時間ができると、アイデアが浮かぶようになった。
昔はシャワー中くらいしか考え事できなかったけど、今は歩いてるだけでも思考が回る。
これは動画に奪われていた「脳のスペース」が戻ってきた証拠だと思った。


■ 第3章:孤独が怖い。でもそれは“自分と向き合うチャンス”だった

YouTubeをやめて2日目、最大の壁がきた。

「夜、暇すぎて寂しい」

SNSも使っていない僕にとって、YouTubeは一番の娯楽だった。
動画の声、映像、スピード感。すべてが“孤独をまぎらわす道具”だったと気づいた。

でも、そこを超えてくると、逆に“何もない夜”の価値がわかってきた。

風の音、家族の寝息、自分の深呼吸。
これまで聞こえなかった「現実の音」が、体の奥に入ってきた。

孤独は怖くない。
むしろ、そこに“人間らしさ”があるのかもしれない。


■ 第4章:YouTube断ちで得た3つの変化

① 睡眠の質が爆上がり

ブルーライトも刺激もカットされ、布団に入ってすぐ眠れるようになった。
朝の目覚めもスッキリ。自然と早起きできるようになり、朝活が習慣に。

② 脳が「ダラ見」しなくなった

テレビもSNSも、無目的に見る時間が激減。
“何のために見るのか”を意識するようになり、インプットの質が変わった。

③ 自分の“本音”が聞こえてきた

動画で埋めていた感情の空白に、自分の声が戻ってきた。
何をしたいのか。どこに行きたいのか。
それを感じる時間が増えた。


■ 第5章:1週間経った今、YouTubeをどう見るか?

僕は今、YouTubeアプリを再インストールしていない。
でも「全否定」しているわけではない。

むしろ、
・目的のある学習動画
・音楽ライブ
・アート系の映像
などは、これからも“選んで”見るつもりだ。

つまり、“YouTubeに使われる”のではなく、“使う”
この意識の差が、人生を大きく変えるんだと感じた。


■ 結語:やめてみることで、世界が変わることもある

僕にとって、YouTube断ちは“情報断食”だった。
不要なノイズをカットし、本当に大切な音に気づくための時間だった。

「YouTube、やめてみたら?」とまでは言わない。
でも、ちょっと疲れたな…と思ったら、一度アプリを消してみてほしい。

あなたの中に眠っていた“静かな感性”が、そっと目を覚ますかもしれないから。