「カメラ」をやめてみた

1. スマホさえあれば写真が撮れる時代に

気づけば、私たちは「何かを撮ること」に追われている。

カフェのラテアート、旅先の風景、ペットの寝顔──
それを撮らずにいられない衝動。

かつて私も、フルサイズの一眼レフを首にぶら下げていた。
レンズは常に3本以上。カメラバッグを持たない外出なんて、もはや不安ですらあった。

でも、ある日ふと思った。

「撮らなきゃ」という使命感に、人生が支配されていないか?

そして、私はカメラを“やめてみる”ことにした。


2. カメラを持たずに旅に出た

最初にカメラを持たずに出かけたのは、春の京都。
桜が満開の鴨川沿いを歩いていると、自然と「撮りたい…」という衝動が湧いてくる。

けれど、そこでぐっと我慢。
代わりに、五感を総動員することにした。

・風が運ぶ桜の香り
・川沿いのざわめき
・小学生の笑い声
・水面に映る陽の揺らぎ

「記録」ではなく「体験」にフォーカスすることで、今までにない濃度で景色が心に沁みこんでくる。

不思議と、それは**“記憶”に刻まれる強さ**を持っていた。


3. SNSからの「解放感」

カメラをやめると、次に訪れたのは「SNSからの自由」。

Instagramに載せるために、構図やフィルターを考え、キャプションに悩み、いいねの数に一喜一憂していた日々。
それが、ぱったりと消えた。

スマホの画面を見る時間が激減し、代わりに「今、この瞬間」に目を向けるようになる。

1日が長くなり、歩く速度がゆっくりになった。
自分のペースで“見る”ことの贅沢さに、ようやく気づいたのだ。


4. 「撮らない」ことで、人と繋がれた

面白いことに、カメラをやめてから人との対話が増えた

・旅先で出会った地元の人と、立ち話が自然に始まる。
・カフェで隣に座った人と、「この景色、最高ですね」と会話が弾む。
・撮影に夢中で見逃していた“小さな優しさ”に気づけるようになった。

カメラは時に「距離」を作る。

レンズ越しの世界は、たしかに美しい。
でも、レンズの外にこそ、本当の“出会い”があった。


5. カメラをやめて変わった5つのこと

  1. 記憶力が上がった
     →写真に頼らないことで、脳が「残そう」と努力する。
  2. 移動が軽くなった
     →カメラバッグ不要。身も心もフットワーク軽く。
  3. お金がかからない
     →レンズ沼から脱出。サブスクも解約。
  4. 会話が増えた
     →レンズよりも「目と目」でコミュニケーション。
  5. 世界を味わうようになった
     →撮る代わりに、感じる。食べる。歩く。話す。

6. やめるのではなく、“選ぶ”

もちろん、カメラが悪いわけではない。

むしろカメラは素晴らしい道具だし、今でも撮りたいと思う瞬間はある。
ただ、常に「持っていなきゃ」「撮らなきゃ」と思い込んでいた自分を、少しだけ自由にしたかったのだ。

いま、私はカメラを持つ日もあれば、まったく持たない日もある。

「撮る」「撮らない」を、自分で選べるようになった。
その自由が、何よりも豊かだった。


7. 最後に:「撮らない美しさ」に気づけた日

ある日の夕暮れ、雲の隙間から一筋の光が差し、街を黄金色に染めた。
かつての自分なら、夢中でシャッターを切っていたと思う。

けれどその日、私はポケットのスマホに手を伸ばさなかった。

ただ、目を細めて、ゆっくりとその光を見送った。
何も残さなかった。でも、すべてが心に焼きついた。

カメラをやめて見えた世界は、こんなにも美しかった。