「天気予報」をやめてみた

はじめに:「空の見方、スマホに任せっぱなしじゃない?」

朝、駅へ急ぐ途中。
スマホで今日の天気を確認しながら、こうつぶやく。

「あ、午後から雨だって」

そう言って、空を一度も見ずに傘をカバンに突っ込む。

──そんな自分に、ふと違和感を覚えた。

「いつから私は、“空”を自分の目で見なくなったんだろう?」

便利すぎる予報アプリ。的中率90%以上の気象データ。
でもその裏で、私たちは“空を見上げる”という感覚を失ってはいないだろうか。

というわけで、試してみた。

「1週間、天気予報を一切見ない生活」──その先にあったのは、予想外の気づきと、“空”との静かな再会だった。


ルールは1つ。とにかく「予報を見ない」

今回の実験で決めたルールはシンプル。

  • スマホの天気アプリは削除
  • テレビの天気コーナーもスキップ
  • 知人の「雨らしいよ」も聞こえないフリ
  • 唯一の情報源は「空と風と空気感」

完全に、“自分の感覚だけ”で1週間を過ごすという挑戦だった。


【1日目】傘を忘れた。でも、それがよかった

1日目、朝の空は微妙な曇り。

「うーん……降りそうで降らない感じ?」
悩んだ末、傘を持たずに出発。

午後、まさかのにわか雨。

ずぶ濡れになりながら、思った。

「あ〜、これも悪くないな。」

子どもの頃、傘を忘れて帰ってきた日って、なぜか楽しかった。
濡れることを“失敗”と感じていた大人の自分に、雨が静かに語りかけてくれた。

「空は、時々、洗ってくれるんだよ」って。


【2日目】“空の湿度”が読めるようになる

この日は朝から青空。

でも、空気が妙に重い。
湿気を含んだ空気、少し霞んだ青。
「あ、これは夕方に変わりそう」と感じたら、案の定、夜には厚い雲に覆われていた。

五感で感じたものが“当たった”という事実が、妙な自信を生んでいく。

「空の機嫌は、肌で感じられるものなんだ」と思い始めた2日目。


【3日目】雲の名前を知りたくなった

空をよく見るようになると、自然と“雲”に目がいく。

「この薄くてふわふわの雲、名前なんだっけ?」
「この重たそうな雲が出ると、どんな天気になるんだ?」

天気図より、雲の形が語ってくるようになった。
気づけば、“見上げる時間”が1日で10回以上になっていた。

まるで、空と会話をしているような気分。
そして思う──

「こんなにも豊かな風景を、私は毎日見逃していたんだ」


【4日目】風の声が聞こえた気がした

この日は、風がやたらと強かった。

気温のわりに体感は寒く、耳に抜ける音がいつもより鋭い。
「これは、季節の変わり目かも」と直感的に思ったら、翌日から気温が一気に下がった。

予報は見ていない。
でも“自然と自分のセンサー”がリンクしはじめていた。

「天気を“知る”より、“感じる”ほうが、生きてる実感がある。」


【5日目〜7日目】空と仲直りした気がする

終盤の3日間は、不思議と“見えない安心感”に包まれていた。

  • 空の機嫌に、怒らなくなった
  • 雨に「降ってくれてありがとう」と言えるようになった
  • 日差しのありがたさが、肌で染みるようになった

「今日は晴れです」と言われるのと、
「今日、晴れてるね」と自分で感じるのとでは、
体が受け取る“リアリティ”がまるで違った。


実験のあとでわかった「空を見る生活」の5つの効果

  1. 視線が上を向く → 姿勢が良くなり、自然と呼吸が深くなる
  2. 空が気持ちを映す鏡になる → 感情を客観的に見つめられるように
  3. 雨や風を嫌いにならない → “自然に逆らわない心”が育つ
  4. スマホに頼りすぎない日が作れる → 情報過多からの脱却
  5. 五感が鍛えられる → 感覚が“野生”に近づいていく

まとめ:「空と会話する力」は誰の中にもある

1週間、予報を見ないだけで、こんなにも世界が変わるなんて思っていなかった。
でも本当は、ずっと前から空は語りかけてくれていたのだと思う。

それに気づくためには、スマホを閉じて、
ほんの10秒、空を見上げる勇気があればいい。

空は、いつでも、あなたの味方だ。