■ はじめに:「新聞を読むこと」は当たり前だった
毎朝、ポストに届く新聞。
親が読むから自分も読む。
仕事に必要だから読む。
テレビ欄を見るためだけに読む。
…でもある日、こう思った。
「本当に、これ必要?」
気づけばネットニュースもSNSもある。
“情報過多”な時代に、「紙の新聞」はどんな役割を果たしているのだろうか。
この記事は、「新聞をやめてみた」生活のリアルと、そこから得た気づきをつづる、“情報との関係”を見直すための実験記である。
■ やめてみたきっかけは、「読んでないのに、料金だけ払ってる」という違和感
正直、新聞を開くことが減っていた。
スマホでニュースは読めるし、天気もSNSで知る。
それでも毎月3,000〜5,000円を払い続けていた。
──この“惰性の継続”に疑問を感じた。
「読む気もないのに届く情報、逆にストレスじゃないか?」
そう思った瞬間、電話で購読停止を申し込んだ。
■ やめて3日:朝が「静か」になった
新聞をやめて最初に気づいたのは、「朝の静けさ」だった。
ポストを確認する手間もない。
リビングに広げる紙もない。
バサバサと紙をめくる音もない。
その代わり、ゆっくり淹れたコーヒーの香りと、窓から差す光が“情報”の代わりになった。
■ やめて1週間:ニュースの“質”を自分で選ぶようになった
新聞を読んでいた頃は、「自分が本当に知りたいこと」より、「新聞社が決めた話題」を毎日浴びていた。
でもやめてからは、次のような行動に変わった:
- Googleで“自分の興味あるニュース”だけ検索
- 専門性の高いニュースアプリを導入
- 朝ではなく、昼や夜に落ち着いて読むスタイルに変更
結果的に、“読みたいニュース”だけを摂取する習慣が身についた。
■ やめて2週間:家に「紙ゴミ」がたまらない
地味だけど大きな変化がこれ。
新聞が届かなくなってから、可燃ゴミ袋の中身が激減した。
- 新聞紙をまとめる手間
- 古紙回収日を気にする手間
- 紙で手が汚れるストレス
これらがすべてなくなったことで、「情報はデジタルで十分だ」と体感した。
■ やめて1ヶ月:でも「足りない」と思った瞬間もある
もちろんデメリットもあった。
たとえば、
- 地域情報や訃報欄が見られなくなった
- コラムや社説に触れる機会が減った
- 「新聞を読む=教養がある」という感覚が薄れた
特に高齢の親との会話で「新聞に載ってたね」と言われて「知らない」と返すと、少しだけ肩身が狭い。
でも、そこで気づいた。
「情報格差」ではなく、「情報スタイルの違い」なんだと。
■ 結論:新聞をやめることは、“情報との向き合い方”を変えることだった
新聞をやめて1ヶ月。
朝の空気は変わった。
情報の摂り方も変わった。
だけど、世界は何も困らなかった。
むしろ──
「自分にとって必要な情報とは何か?」
これを自問するようになったことが、最大の変化かもしれない。
■ これから「やめようか迷っている人」へ
新聞をやめるのは、反対されることもあるかもしれない。
でも、それは時代が変わっている証拠。
読んでもいい。
やめてもいい。
大事なのは、「何を受け取るか」を選ぶ力。
情報があふれるこの時代、
「紙をやめる」ことが、心を整える第一歩になるかもしれない。