「いいね」をやめてみた

はじめに|なぜ“いいね”が減ると不安になるのか?

ある日、Instagramの投稿に“いいね”が2ケタしかつかなかった。
以前は100以上当たり前だったのに、なぜか急降下。
それだけで、**「自分の写真には価値がないんじゃないか」**と落ち込んでいた。

SNSを始めた頃のあのワクワクは、どこへ消えたんだろう。
これはきっと、ただの趣味じゃなくなってしまった証拠。

その日から僕は、ある実験を始めた。
**「“いいね”を気にしないで写真を撮る」**という、小さな革命だ。


第1章|“いいね”を意識すると、写真がつまらなくなる

SNSに写真を投稿するとき、無意識にこんな計算をしていた。

  • 明るくてポップな構図の方が伸びる
  • 被写体は“映える”ものじゃないとダメ
  • ハッシュタグは最低10個はつけるべき
  • 投稿時間は夜9時がベストタイミング

…気づかぬうちに、自分の創造性が**「承認欲求」という枠の中**に閉じ込められていた。

結果、どの写真も似たり寄ったりで、
“自分らしさ”はどんどん消えていった。


第2章|「誰のためにシャッターを切っているのか?」

SNSで「バズる写真」を目指していた頃、
構図も、編集も、色味も、誰かの真似ばかりだった。

でも、ある日ふと思った。

「自分が見たい風景を撮ってない」
「誰の“いいね”が欲しいのか、もうわからない」

本当に残したいのは、
フォロワーの目を意識した写真じゃなくて、
“自分が美しいと思った瞬間”だった。


第3章|SNS断ち1ヶ月。写真が息を吹き返した

Instagramを1ヶ月だけログアウト。
「誰にも見せない」を前提に、写真を撮り続けた。

結果どうなったか?

  • 構図が大胆になった
  • 光の使い方に敏感になった
  • 被写体が“偶然の美”になった
  • 編集アプリに頼らなくなった

そしてなにより、“撮る楽しさ”が蘇った。

SNSは便利だけど、「見せるための写真」ばかりでは、自分の目が曇る。
それを、体感した。


第4章|“誰にも見せない1枚”が、人生の宝物になる

ある早朝、人気のない川沿いで撮った写真。
朝霧と朝日が交差するその瞬間を、
静かに1枚だけ、iPhoneで切り取った。

それは誰にも見せていない。
でも僕の中では、どんな「いいね」よりも大切な写真になった。

「写真って、誰かの評価じゃなくて、“記憶の保存”なんだ」
そんな根源的なことに気づいたのは、
“SNSから距離を取った”からこそだった。


第5章|“バズ”を求めない、その先にあった自由

もちろん、SNSに写真を投稿するのが悪いわけじゃない。
でも、それだけがゴールになると、写真が不自由になる。

  • 本当は撮りたくなかったカフェ写真
  • 見栄で加工した風景
  • 他人の目を気にしてボツにした1枚

そういう“失われた写真”を、僕らは思い出せない。

でも今なら、「誰のためでもない写真」を大切にしたいと思える。


おわりに|カメラは「心の延長線」に戻った

SNSを一時的に手放したことで、
写真という趣味が**「承認欲求のツール」から、「自己表現の手段」**に戻った。

僕は今でもInstagramをやっている。
でももう、“いいね”の数で悩むことはなくなった。

代わりに、シャッターを切るときにこう思う。

「今、この瞬間を自分の目でちゃんと見たか?」

その問いに「YES」と言える写真だけを、これからも撮っていきたい。